スローロリスのVTuberボヤキ

良い事も悪い事もたまにボヤいたり物申したりしていくブログ

VTuberファンに物申す!!~スパチャでVTuberから対価を得ようとしている者達へ~

VTuberというものが流行り出して早三年
 界隈もすっかり文化として他界隈との繋がりを持ち始めVTuberという星も今やビックバンは遠い昔の現在。
 問題も多々ありながらここまでサブカル層に根強く支持されているのは少なくとも並大抵の事で無いのは確かです。

 かく言う自分も2018年1月初旬にこの界隈を知り来年を迎えればファン歴三年という事となりたった三年弱が大昔に見えてしまう事に苦笑いを隠せないでいます。

 さてそんなVTuber界隈、上述した通り呆れる様な問題事もあちこちで起きては炎上しを繰り返しており筆者自身これには呆れるより他なりません。
 が、あくまでVTuber自体や運営の問題であるなら愚痴は出せても本気で口は出せないのがファンの身。
 ですがファンの身に余る行為であるなら同じファンの身の自分が物申しても良いだろうと今回筆を取った次第になります。



 
☆今回物申すのはズバリ!
 スーパーチャット(YouTubeに置ける投げ銭システム)で自己承認欲求を前面に押し出すファンへの警鐘、批判です。

 そもそもこのVTuber界隈で顕著なのが『自分を認識してもらう為にスーパーチャットを投げまくる』『認識してもらえなかったら発狂する』といったコンボ。
 まず最初に言うべき事は『スパチャは悪い文化ではない』事。
 一般人からしたらただの無料で見れる配信者にわざわざ金を落とす意味なんて分からないだろうが、これを路上アーティストに当て嵌めて見ると案外分かりやすいのではないだろうか。
 心打たれたもの、気に入ったものに金を払うという行為は例え現金を持っていても強くそれを支援したいと思わない限りほぼする事は無いのだから、支援したい人間と支援されたい人間とでwin-winの素晴らしい関係性を築けるのだ。

 だがこのVTuber界隈を見渡してみると、何か変だ。
 確かに純粋に支援したい、応援したいから投げ銭を行っているファンが大半だろう。
 だが目立つのだ……『金をやったんだから自分を見てくれ、なんで見ないんだ』というふざけた思考の持ち主が。

 実際にいるのか? 残念ながらちゃんといるんです……流石にふざけた思考の持ち主と言えど一般リスナーの名前を出す訳にはいかないので御了承いただきたいが、直近でもラトナ・プティ(にじさんじ所属)と雪花ラミィ(ホロライブ所属)のリスナーがスパチャを読まれなかった事でTwitterで文句を漏らしていたのが話題に上がっていた。




☆スパチャで自己承認欲求、何がダメなの?
 そもそもどこの配信サイトに関わらず投げ銭制度というものの特性上『自らの意志で配信者に金を譲渡する+‪α他より目立って見えるチャット機能』というシステムになります。
 つまり『配信者に無理に金を投げなくても良い』状態で自分から金を譲渡したにも関わらず読んでくれないというのは押し付けがましいにも程がある。
 これで金が正義だから配信者は謝るべきだと言うならそれはもう金による暴力と言って差し支え無いだろう。




☆筆者の本音は……
 正直このワガママで自分勝手なリスナー達と言いまくってきたものの、筆者自身このリスナー達に一切理解が無い訳ではなく、寧ろ気持ちは痛い程分かってしまっていた。
 筆者も良くスパチャは行っているが、読まれない事なんてザラにある。
 読んでほしいと贈ったスパチャが何回虚空に消えていったか数えるだけで一日が終わりそうである。
 その度に内心仕方ないと割り切ってもどこかに寂しくなっている気持ちが消えない事だってあるのである。


☆だが、それでも
 それでもVTuberに自分のワガママで迷惑を掛ける事はしたくないと思っている。
 それは自らが『ファン』であるからだ。
 ファンというのは元来好きになった人を純粋に応援しその人の笑顔と幸せを願う切なる願いを持った人々の事だ。
 それが自己中心的な行いで笑顔を曇らせてしまっては本末転倒、ファン失格だ。




VTuberに限らずなネットでの投げ銭の心持ち
 ネットでの投げ銭は悪く言えば所詮文字と文字のやり取りでしか無く、実際の路上アーティストに投げる時とは違い顔や表情はほぼ一方的にしか伝わらない。
 そんな簡素なものであるのだから、心持ちもある程度は割り切らねばならない。
 いくら目立とうと文字なんていつどんなタイミングで見逃すかなんて予測不可能な上に偶にバグでスパチャが配信者側に表示されないなんて事すらもあるのだ。
 たかがスパチャをスルーされたくらいで揺らぐ愛ならば、捨ててしまった方が余程健康的な生活を送れるので上で例として挙げた二人やそれに似た性質の持ち主に関してはこの際にVTuberファンから脱却するのが建設的だろう。




☆まとめ 何かを応援するという気持ち
 非常に大切な心であり、決して忘れてはいけない気持ちであると同時に、それを行うに際して必ず正しく理解しないといけない事でもある。
 応援というのは、真に誰かを想う気持ちであり、その『誰か』が辿り着く笑顔や幸せで自分も笑顔と幸せを自然と受け取る事なのだ。

 決して自分だけが満足する、満足したいが為にする行為では無いという事を深く刻み込んでもらいたい。

 人と接する事が少なかったリスナーには難しい事かも知れないが、リスナーに心がある様に、VTuberも『魂を持つ』心を持った尊い存在であると言う事を忘れずに推していかねばいつか心を壊してしまう。

 そうならない様な、お互いが笑顔でいられるファン活動を努めて行く事が、今後界隈が長くこの世に生き続ける重要なポイントになると、筆者は確信しているのだ。